
ソース:「中絶薬を「信仰上の理由」で投薬拒否」
日本は無宗教、正確には無興味なのでとくに宗教と医療にまつわるこういった出来事はなかなか起きません。
……と、はっきり断言はできず( ´ω`)/
輸血において、瀕死の息子への輸血を両親が信仰の事情により拒否したってケースを聞いたことがあります。
(ソース:輸血拒否 – 1985年大ちゃん事件)
その事例とは違って、今回は医療従事者側が自らの信仰を掲げて拒否したケース。
さらに、ここで薬剤師が何らかの法律に問われるわけではなかった。その理由が
「カナダでも、宗教上の理由による投薬の拒否は許されています。」
こういった事情があるのは初耳でした(´▽`)
中絶の是非についてはなかなか簡単に取り扱える問題ではなく、単純にOK / ダメとは言いづらい内容。
ただし、今回の例に関してひとつ言えることがあります(๑'ᴗ'๑)
患者さんは「体に負担の掛かる胎児を取り出す手術をする」ために中絶薬が処方されていました。
それでも、自らの信仰を理由に調剤を拒否した。
このことについて筆者はこの患者が嘘をついていると判断したからではと推測しております。
しかし、そう判断する根拠はあったのでしょうか|ω・)
対面で処方するとき、嘘をついているようにおどおどと怪しく振舞っていたのか。
言葉尻が震えていたのか、あまり目を合わせようとしなかったのか。
もしかしたら、自らの価値観から「どうせ中絶だろう」と色眼鏡で見てしまったのかもしれません。
恋する乙女が相手のどんな行動も好意的に捉えるように。
人は一度疑った視点で見てしまうと、どのような行動をとっても怪しく見えてしまいます。
これからの時代、多国籍化は比較的縁のない日本においても確実に加速していきます。
出生率は徐々に下がり、止まらない高齢化によって国が国として成り立たなくなっていくためです。
そんな世相から、自らの価値観をしっかり形成したうえでそれを強要せずに理解しあう土壌。
価値観に振り回されず客観的に患者と接していく必要性、あると思います( ∩ˇωˇ∩)