medical_yuketsu
(薬学生・薬剤師のためのヒューマニズムより)

[共通部分]


最善は患者を説得し、救命のために輸血を受け入れてもらうこと。
「患者がそう述べているから」と説明責任を免れようとするのはよろしくないと思われる。

[肯定側] (自分はこちら側)

しかし、患者側はエホバの証人であり、宗教上の理由から輸血を断り続けていた。
「自己の生命の価値よりも信仰をとる」と覚悟を決めた患者に対して、延命治療として輸血を行うのは患者の意思を無視したとも考えられる。
「延命を望まない」と予め宣言した患者に対して延命治療を施すのは患者の自己決定権を無視することに繋がり、医師のパターナリズムや独善性が優先されることはあってはならないと考える。
そのため、自分は患者が輸血を拒否する意思を肯定します。

[否定側]

しかし、患者が延命を望まないとしても、患者を救いたいという医師の意思に基づいた手術中に輸血を行なってしまった行為について、過失を問われるのは問題であると考えられる。
本来救えたはずの患者にたいして医師が治療を放棄して逝去した際に、事情を知らない第三者が客観的に状況を見た場合、医師が自/殺幇助をしたとも取られかねず、後々の医療訴訟を回避するためにも延命は正しい判断であったと思われた。



解説に対して


・死の5段階
手術前は信仰を優先していた患者も、実際に手術を迎えて心変わりをし、輸血を肯定するように揺れ動いているかもしれない。

・モラルジレンマ
患者の意思のみを聞いて言いなりになってしまう医療であってはならない。
例え患者が意思を訴えていても、自分の尺度を持って思慮し、正しいかどうか選択していかなければならない。